椿屋四重奏

久々にこちらで日記を書きます。
最近はツイッターばかりでほとんど日記なるものを書かなくなってしまいましたが、やはり大好きなバンドが解散になる、いやすでに解散してしまったともなると、単なるつぶやきだけでは自分の中でどうしても消化しきれないし状況であって・・・その気持ちを書き記すに当たってはやはり、彼らへの想いがたくさん残っているこの日記に書き残したいと思います。

そう、そのバンド・・・
椿屋四重奏

解散に関してはすでにオフィシャルにコメントされていることが全てであり、その結論にもちろん異論はありません。
ただ、当時30半ばのオッサンにライブの楽しさと喜び、そして音楽の素晴らしさを再び与えてくれた彼らに「ありがとう」を言いたいだけ。。。
彼らに出会っていなければ今のような音楽に触れることもなかったし、ライブさえも行かなくなっていただろうし、そもそもこのような日記さえ書く習慣もないまま歳を重ねていたと思う。
さらに、彼らを通してたくさんの人と知り合うことも出来た。
素晴らしい財産を与えてくれた事に感謝。

解散を知ってから、すっかりご無沙汰していた昔の椿屋クラスタさんの日記を読み返してみたのですが、未だに椿屋に対する熱意は変わらないでいる事に嬉しくも感じました。
それと同時にそれぞれが感じている喪失感というものもあって・・・。

いつかは「その日」が来ることはわかっていても、それがあまりにも突然すぎて、正直まだ整理はついていません。
彼らへの思い出は沢山ありすぎて・・・

あくまでも「和」にこだわった音楽性。
それはやがて「艶ロック」と評され、日本のロック界に風穴を空けるかに思われたが、プロモーションの問題や、当時ヒップホップや打ち込み全盛の音楽界にあって、やはり異端児のままで終わってしまった感もあった。
そしてイロイロ物議をかもしたメジャーデビュー。
これまでの和テイストを脱ぎ捨てた事により、「歌謡ロック」としての音楽性の広がりをみせ、新たなるファン層を獲得する事に成功した。
それと同時にこれまで支えてきたコアファンを失う結果にもなっている。
それは非常に残念でもあるけど、ステージアップには欠かせないことでもある。
そしてヤスタカ氏の加入により本当の四重奏としてよりバンドとしてのスキルを高めていったかに見えたのだが・・・

考えてみると、ヤッチンの脱退からというよりも、中田くんがソロ活動し始めた時くらいから、徐々に解散へのカウントダウンは始まっていたのだと思う。

でも一番考えたくないのは、「大人の事情」が絡み、中田くん一人にだけスポットが当たってしまったのではないかということ。
彼のコメントの端々から、そんな想いが読み取れるので。
ま、考えすぎだね(笑)
もちろん、彼一人でも音楽活動は出来るし、自由度が高い分、やりたいことも出来ると思う。
でも考えてみて欲しい。
音作りには必ず協力者が必要なこと。
そこにはまた新たな妥協とストレスとの戦いが出てくると思う。
そんな中田くんのジレンマを一番理解していたのは他ならぬ、永田くんと小寺くんだったに違いない!

良チンなりにも椿屋でもっとやりたいことがあったと思う。
たかしげは自分の技術の限界を理由にしてたけど、彼には他のベーシストが持ち得ない、彼なりの「色気」を持っていたし、それこそが椿屋としてのベースだったと思う。

はぁ....

書いてるうちに溜息しか出なくなってきた。
いいのかなほんとに。
もちろん永田くん以外は音楽を続けていくので、今後の彼らに期待はしていくし、応援もしていきたいと思う。
でも椿屋四重奏というバンドが好きだったし、名前が好きだったし、その音が好きだったので、このままThe Endというのがツライ。
椿屋四重奏というバンド名を後世に残したかった。
残ってくれることを祈る。

最後に良チンにもらったサンドイッチ美味しかったぜ(笑)